北海道標茶町にある旅人宿|なかまの家

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42年前までここにあった、五十石小学校。

ここ標茶町五十石(ごじっこく)は住人10数名、

たった5戸の家族が暮らす小さな地域。

 

むかーし、弟子屈から嫁いできたという隣の家のばあちゃんによると、

「駅前に商店があったりして、賑わってたんだよ~」とのこと。

五十石で買い物ができた時代があったなんて!

今ある風景からは全く想像できません。

 

さらに、五十石には小学校もあったのだそう。

ばあちゃんちの三男が小学1年生の時、昭和45年に閉校したそうだから、今から42年前。

 

この五十石小学校、実はうちのすぐ近くにあった。

宿の周囲に広がる牧草地の端っこ。国道沿いの小さな林の中に。

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写真だと遠く見えるかもしれないけど、

ふんふ~ん♪と牧草地を歩いて2分くらい。

 

 

そして、その校舎の跡は今もしっかり残っているんである。

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草に半分埋もれているのは、コンクリートの基礎。

 

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集合煙筒? 倒れている。

 

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角の部屋。教室だったのかなぁ。

この40年で、木がこんなに成長している。

 

さらに、れっきとした証拠がこれ。

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「五十石」の文字がはっきり読み取れる。

国旗掲揚のものと推測される柱だ。

 

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そのすぐ近くには、2本の柱。 もしかして、校門…??

 

 

校門(仮)とは反対側、山手には枝を伸ばす1本のハルニレの木がある。

この木だけはひときわ大きいから、40年前からここに生えていたのかもしれない。

子どもたちがかつてこの木の周りを走りまわったんだろうか?

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手前にある農機具は、後から置かれたもの。

馬にひかせる昔の農具で、これもなかなか趣がある(子どもの頃は、しょっちゅうこれで遊んだ)。

 

 

私たち一家がここに住み始めた25年前には、

もちろん既に校舎はなかったけれど、職員住宅が1軒、集会所として残されていた。

私も少しだけ記憶にある。でも、それもすぐに取り壊された。

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その跡地がここ。校舎のすぐ横だった。

 

牧草地の端っこに小学校があったなんて。当時に思いを馳せるだけでもわくわくする。

(あぁ、うちからだと、通学がすっごく便利だったのになぁ。起きて5分で行ける距離だもん。)

 

ただし、こんなに観察できるのは、雪が解けたばかりの今だけ。

これからの時期は草が繁って、コンクリートの基礎を確認するのも困難になる。

 

初春。五十石小学校がひっそりと姿を見せるのは、

かつて子どもたちの笑い声がいっそう増したであろう4月の、この時期だけなのだ。

 

なーんつって。

まぁ、雪が降り始める前の、晩秋でも大丈夫です。

廃校など好きな人は、自由に見学どうぞ~。

 

 12:01 AM|コメント (4)

コメント 4件

  1. やっぱり廃校探索には春だな~(^^)
    ハルニレの木が学校があった事を伝えているようです、五十石小学校跡地は、なかまさんのご教示が無ければ見つけられなかった・・・(^^; ゆったりとした旅が出来たら、ぜひ宿泊させて頂きます。
    • nakama on said:
      >piroさん
      あ(嬉)! 実はpiroさんからのコメントを待っていました(笑) 私の方こそ、piroさんのおかげで、この五十石小学校跡の価値に気が付くことができたんですよ~。感謝しています。今年のシーズンも走り回るのでしょうけれど、くれぐれも道中お気を付けて~!
  2. たら on said:
    東京出身で釧路の浦見という町に移住して7年が経ちました。近所なのでなかなか泊まりに行く機会がなかったので、近いうちに一度旅人気分を味わいに行きたいと考えています。鹿のワナの話が聞きたいです。

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